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どうもべこです!   長崎、見所たくさんで堪能していますが、長崎はこれを抜きに語れません。   昭和20年(1945)8月9日、午前11時2分。   米軍はこの日、人類が手にした最凶の力、核の力をもう一度人間に対して開放しました。


米爆撃機B-29「ボックスカー」より投下されたプルトニウム型原子力爆弾「ファットマン」は長崎市浦上地区の上空500mで炸裂し、0.2秒後には直径200mの火球を形成。   爆心地周辺は秒速数百mの熱風が吹き荒れ家屋を吹き飛ばし、地表面の温度は爆心地で3,000度から4,000度、1キロメートル離れたところでおよそ1,800度、1.5キロメートル付近でも600度以上に達した。


これにより当時の長崎市の人口24万人のうち、じつに73,884人が死亡し、74,909人が負傷。  たった一発の、人間が造り上げた爆弾がこの想像を絶する惨状を引き起こし、「原子野」と呼ばれる光景が広がったそうです。



長崎の原爆、これも絶対に忘れてはなりません。




4月20日、散歩232日目スタート!   今日は長崎原爆資料館を訪れます。







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前日に続き、水辺の公園で起床。   場所が場所なので起きて速攻で片付けて出発!   気になるのは雨で、今日の昼前から降る予報。   少しは進みたいぜ!







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206号線へ進む途中で長崎駅。   そういや駅撮ってなかったから、どうせなので(笑)








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7時58分、平和公園近くにある防空壕へ到着。   原爆投下後、多くの患者が安置されたそうです。








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まずは平和公園へ!   この平和の泉は、原爆投下後、水を求めて彷徨った人々を想い、造られました。







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そして平和記念像。  天を差した右手は核の脅威を、水平にした左手は平和を、軽く閉じた瞼は戦争犠牲者の冥福を祈っています。   しばし祈りましょう。


公園のすぐ近くには原爆の資料館があるので、そちらまで移動。






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爆心地横に移築された、「浦上天守堂(教会)」の壁。   浦上天守堂も被爆し、原形を留めぬほどに破壊されてしまいました。   現在は再建されましたが、かろうじて残った部分はここと資料館の中に保存されています。


原爆の惨禍を伝える貴重な遺構です。








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被爆当時の地層もありました。   瓦や茶碗などが散乱








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8時30分の開館とともに入館。   この先も写真を撮るのはOKですが、どうも展示品は撮る気にはなりませんでした。   どなたかが使っていたものかもしれませんしね。   かわりにこの目にしかと焼き付けて参りました。


原爆の惨状に関しては、、、広島の資料館でもいいので是非一度ご覧になってください。   私がウダウダ書くよりも、ご自身の目で見たほうが絶対に良いですから。


なので、自分はどうしても疑問に思うことを書きます。   原爆と聞いて「広島!」とは日本人なら100%答えられるでしょう。   しかし、広島より先に「長崎!」とは出てきませんよね。   この差ってなに?と思うのです。


この差は、「象徴の有無」にあると思います。   広島には世界遺産の原爆ドームがあり、誰もが写真・映像を通してその姿を知っています。   そのため「原爆 → 原爆ドーム → 広島」と思考回路が働きます。


翻って長崎は??  ………残念ながら象徴は思い浮かびませんよね?  強いて言うならば平和記念像ですが、あれは被爆した遺構ではありませんからね。   この”強烈なインパクトを持った象徴の不在”が長崎が忘れられてしまう要因でしょう。   ぶっちゃけ日本において、長崎に原爆落とされたって話、わからない人多いのでは?   憂慮すべき事態です。


先ほど見ました浦上天守堂の遺構、言葉は悪いし、気持ちを悪くする方もいるかもしれませんが、これこそが”長崎の象徴”として遺すべき遺構だったでしょう。   実際、原爆資料保存委員会や浦上天守堂の再建に対し「貴重な被爆資料である天主堂は保存したいので、代替地を用意しよう!」と持ち掛けましたが、当時の司教はこれを拒否。   市長も米国セントポール市との姉妹都市締結を機にアメリカとの関係を重視。   市議会において撤去・再建を可決してしまいました。


というのがwiki情報。  でもこれってホント?   ここで情報を整理しましょう。   この遺構を残すことによって一番被害を被るのはダレ?


考える間もないですね(笑)   他でもないアメリカ様でしょう。   だって自国においても信者の多いカトリックの教会をふっ飛ばしたのですから。   さらに都合が悪いのは、被爆当時「告解」と呼ばれる、神に罪の赦しを得る儀式を行っておりました。  そのため神父と40名もの信者が下敷きになり、全員亡くなりました。


また、キリスト教禁令発布、その後の島原・天草の乱によってその信者たちは根絶やしにされ、以後200年もの長きに渡って、お上の目を掻い潜りつつ隠れキリシタンと呼ばれる方々がその信仰を続けていきました。   明治になってからの禁教令撤回により、隠れキリシタンの存在が明るみに出た場所こそ、この浦上天守堂。   当時の教皇をもってして「奇蹟」と言わしめた、非常に歴史的な教会なのです。


この浦上天守堂を遺す、というのはアメリケ~ヌ様にとって非常に都合の悪い出来事なんですわな。   そう思ってググッったら一発で出ましたね(笑)   予想通り過ぎてあははのは( ̄▽ ̄)


当初は反対派だった市長、アメリカからの帰国後「突然」賛成派になったそうな。   なんらかのくろ~い、巨大な力が働いているのはほぼ間違いないでしょう。   情けないことですが、日本がアメリカからやられた原子力の被害とその遺構、今度はそれをアメリカ様の都合で取り壊しちゃったのです。



まぁいまさらなにを言っても後の祭り。   せめて資料館の中に壁があるだけでも良い、としなければならないでしょう。   また、壁以外にも被爆した石像が数点あるのですが、、、あれを見たらキリシタンは絶句するでしょうね。   信者ではない私でさえ、物言わぬ石像故におぞましさを感じました。

いっそのこと爆心地に残った遺構を取り入れて再建したいですね。   惨状を取り入れて。



で、この話をどこに活かすかと言うと、2年前に起こった東日本大震災なんですよね。   いま次々と津波を受けた建物が取り壊され、更地になっています。   テレビで見た方も多いと思いますが、陸に揚げられた漁船。  あれも解体の動きが進んでいると聞きました。


地元の方は当時の記憶を呼び覚まされてツライでしょうが……  それでも絶対になにかを遺すべきです。  一本松もダメになったようですし。   ”象徴”がないと、どんな大規模な震災だったとしても人は忘れてしまう。   長崎の二の舞はごめんです。




さ、これにて長崎原爆資料館終了!   時刻は10時半、おそるおそる外に出ると、、、
 








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アウチ!(ノД`)   降ってました


急いで移動!







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11時前、マックに退避完了!   そして雨は本降りに!


13時、止まない。  マックで買い足す(笑)


16時止まない


18時止まない


ダメだこりゃ(笑)   結局20時までマック滞在。   一日は24時間。   3分の1以上マックで過ごしてしまいました!   マックさん、本当にありがとう!( ̄▽ ̄)








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移動し、21時48分、時津(とぎつ)の「とぎつ海と緑の運動公園」に到着!   今日はここに泊まります♪(^_^)




明日は佐世保へ!   またまた趣味の街です!笑







走行時間  1時間16分
走行距離  16.4km


累計走行距離  11775.3km








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