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「呉」 ← 「ご」と読んだ方は三国志好き。




どうもべこです!   今日は旧日本海軍の本拠地にして、戦後日本の復興を支えたと言っても過言ではない「くれ」へ!   もちろん趣味もふんだんに盛り込まれます(笑)




2月3日、散歩157日目スタート!   










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道の駅「みはら神明の里」で起床!   朝っぱらから素晴らしい景色だ!


完成したばかりでとてもキレイな道の駅なのですが、軒下がほぼなし。   天気予報次第の道の駅っすわ。


さぁ今日はたしか60kmくらい先の呉まで!   正確な距離忘れました(笑)









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国道2号線から75号線へ進みます。   185号で海岸沿いに行く安牌ルートもありますが、そちらだと遠回り。


この75号線なら内陸をショートカット!   一刻も早く呉に行きたいのでもち内陸コース!   内陸故の恐ろしさは……   行ってみればわかるさ!笑









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ウッホ~(・∀・)   すんごい快走ルート!









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田んぼがステキ☆








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皆様も危惧した通り、登り始めます(笑)











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グッハー!   登り切った~~(ノД`)   トンネル見えて「終わった~」と思ってからの、トンネルの先に斜度10%の坂が見えたあの絶望感。   しんどかった…









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ひゃっはー!と下りきり、10時58分、竹原市内にある道の駅「たけはら」へ到着。


休憩後出発!   竹原からは185号で進みます。









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向こうに古い民家の数々があるそうですが……   気持ちはすでに呉のためスルー!








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東広島市入り~









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広島と言えばカキ!   カキの養殖でしょうか?








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海一面カキだらけ










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と、おぉう!?   山間部走行中、変な雲発見!








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ズーム!   雲が搭のように天空へ突き刺さり、右には天使の羽のような雲。


て、天変地異の前触れや!   テーヘンダテーヘンダ!








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何事も無く14時50分、呉市入り。   185号、途中から交通量が激増しちょいと恐怖です。


憧れの呉!   顔がニヤケル~(・∀・) ニヤニヤ   さぁ、先ずは港方面へ行きますか!







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見渡す限りの倉庫群。   これIHI(旧石川島播磨重工業)の倉庫群らしいです。   すご過ぎ(笑)


呉はいまも主要な港として日本を支えております。









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IHI、航空宇宙事業部!   めっちゃレアなもの見ました!









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さぁ見えて参りました!








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ちょいと来た道を振り返ります。   山です(笑)


港、特に軍港は陸路・海両面からの攻撃を受け難くするため、周りを山に囲まれた、奥まった湾が最適。   そしてこの呉はまさにその典型。


ということはですよ。   坂ばかり、ということなんです(T∇T)   住宅街なのに、尋常じゃないほど登ったりします(ノД`)   軍港は本来チャリダーの天敵なのです。   


でも、呉なら許します(笑)








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海上自衛隊の基地。   日曜日は一般公開をやっており、そして今日は日曜日!   奇跡的に曜日が合いました!

いざ、逝かん!   と思ったら、15時で受付終了でした。


現在時刻は15時20分。


……
……
……


( ̄ロ ̄|||)


やっぱね、爪が甘いんですよ、オレは(;´Д`) グヘ









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仕方ないので見えるとこからパシャリ。   あれは「くにさき」という輸送艦で、東日本大震災時も災害派遣任務に就いたそうです。


お疲れ様でした!(`・ω・´)








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あら、潜水艦もいるじゃない。   金網から撮ってると不審者ですね。


さぁ戻りましょうか。









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こちら、歴史の見える丘公園。   ここからは呉の港を一望。


でも本命はこの左側。









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こちら!   呉は戦後日本の造船業を支えた、高い技術力を持った造船集団。   いまも大型のコンテナ船など建造しています。


そしてそして、写真左の建物(写真切れちゃった…)、あの場所こそ戦艦大和が誕生した場所なんです。   ドック(船を造る場所)は埋立てられていますが、周囲を覆っている上屋の骨組みは当時のまま。


あそこで大和が建造されたのか~~。   たまらん!笑   いつまでも見ていられますが(笑)、移動しましょう







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呉地方総監部。   1907年完成の、旧呉鎮守府。   この一帯の頭脳でした。


こちらも日曜は一般公開してぽりますが、、、はい、間に合いませんでした(笑)   まぁ、本命はここじゃないので……(ノД`)








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15時44分、着いた!   着きましたよ、皆さん!   これこそ日本男児の中心、「大和ミュージアム」


当然ここが今日の本命!   ふへへへへ(・∀・)








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ミュージアム前には、とんでもなく巨大な錨。   戦艦陸奥(むつ)のもの








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こちらも戦艦陸奥の主砲。   長門型の二番艦として完成した陸奥。   完成当時は世界最大の16インチ(40cm)主砲搭載戦艦として、世界最強の艦。

この陸奥も数奇な運命を辿った艦でした。   語ると終わらないので割愛(笑)


ここから重量1トン!もの砲弾をぶっ放すわけです。   そのエネルギーっておそろしや…









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砲の尾栓









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陸奥のスクリューと舵。   陸奥は停泊中に謎の爆沈をしたため、沈没地点がわかるのです。   そのため多くの部品が引き揚げられております。









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って、うおぉぉぉ!!   潜水艦や!   潜水艦が陸に揚がっておる!∑( ̄ロ ̄|||)


あちらが海自の施設、「鉄のくじら館」   あの潜水艦も本物で御座いまして、なんとあの中に行けるとか。   もちろん行きます。   明日!笑










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さぁミュージアムへ行きましょう!   入館料500円?   幾らでも払っちゃるわ!(^_^)









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ホール中央に、10分の1サイズの大和。   もうね、これだけで来た甲斐がありますよ。   ホント。


入館時は逆光で写らなかったので(笑)、閉館間際にダッシュで撮り直しました。


さぁ順路通りに進みましょうか。   最初は展示室「呉の歴史コーナー」へ











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初っ端からかましてくれます。   なんともまぁ、、、玄人好みの戦艦金剛のヤーロー式ボイラー。


1913年に巡洋戦艦として竣工した「金剛」にはこの36基のヤーロー式ボイラーが搭載されていました。   とんでもねぇ数ですね(笑)   ボイラーは1928年からの近代化改装の際に撤去され、戦前は東京の海軍技術研究所、戦後は科学技術庁の金属材料研究所の建物の暖房用ボイラーとして平成5年(1993)まで使用されていたそうです。

建築設備技術遺産に認定されたそうな。











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ある意味、好き物にはたまらない展示。   日露戦争時の海軍大臣、山本権兵衛の直筆入り。

山本権兵衛こそ日本海軍を育て上げた人物で、さらには内閣総理大臣も務めた人物。   薩摩の英雄の一人ですわ。   これ感動









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お次もお宝。   東郷平八郎の時計。










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工員たちの給与明細。   いまとそんな変わらないっすね










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すげー!   日本造船界のトップだった平賀譲氏によるノート。







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数式だらけでわかりません(笑)









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やっぱりわかりません(笑)   造船って、○○学とかホニャララ学とか、理詰めの世界。   私にはさっぱりです(笑)









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大和の引き揚げ品。









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たしか…… 戦艦長門の日章旗。   忘れてしまった(T∇T)


もし長門の日章旗なら、これ某番組でアメリカにあったものを石坂さんが個人で買い取り、寄贈したもの。   感涙ものです。   日章旗はやっぱり美しい!









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タンカー「日精丸」   1975年の建造当時は世界最大のタンカーでした。   日本の高度成長を支えたのは、間違いなくこのような船たちであり、日本造船の黄金期でもありました。


そして、この大型タンカーたちを誕生させた場所こそ、戦艦大和が建造されたドック。   さらに大和建造時には多くの技術的トライが成されました。   当時はまだ強度に不安のあった電気溶接方式を多用(問題なかった)。   そして建造期間を短縮するため、西島中佐考案の「ブロック工法」を採用。


このような大和を建造した設備、その際に築き上げた生産管理システム。   これらこそ大和が日本に遺した最大の遺産であり、戦後日本の礎となりました。   そう、大和は無駄じゃなかったですよ。









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珍しい!   マツダ GB型3輪トラック!   戦後の日本を駆け回った頼もしいヤツ。


これ、、、めちゃくちゃ欲しい!(^_^)










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呉の歴史コーナーを抜けて大型展示室へ。   大和を後方から。


呉の歴史全然載せてないじゃん?という方。   いいんですか?   語らせて?笑   これでも2割しか喋っていませんよ?笑


まぁ、、、自分の目で見てくださいな!笑   個人的に、呉の歴史を編纂した各VTRはめちゃくちゃ面白かったです。   呉が如何にして日本海軍の根拠地となっていったのか、そしてそこでの人々の営み。   ここには多くの歴史が詰まっています。


他の方々が5分で行くところを、30分もかけていたので時間がヤバイ(笑)








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大型資料展示室の一発目、93式魚雷。   俗に言う「酸素魚雷」というヤツです。   知らないって?笑


魚雷は海中を突き進み、船のどてっ腹に一発喰らわせる兵器ですが、その動力は圧縮した空気でした。   その圧縮した空気を「ぶわ~~!」っと景気良く放出して進むのですが、空気中の窒素が大量に海中に放出され、白い航跡を出す。   そして空気式は十分な威力・射程があるとは言えませんでした。


酸素を動力にする研究は列強各国で行われましたが、なんと実用化に成功したのは日本だけ!   VIVA!  NIPPON!   酸素を主動力とするためほぼ無航跡、そしてパワーがある分より炸薬を多く積め、射程も長いといいとこずくめ。


なわけはなく(笑)、酸素な分取り扱いがデリケートで、整備性悪く、また日本の潜水艦が謎の失踪をするなど(魚雷の暴発か?)、決して優れた兵器か、と言われれば一概に言えませんが。


それでもルンガ沖海戦、第一次ソロモン海戦などでその威力を発揮。   連合軍は航跡の見えないこの魚雷を「ロングランス」と呼んで恐れ、「日本駆逐艦に対して横腹を見せるな」が合言葉になったとさ。









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そして悲しい。   その93式魚雷を元に「人が乗って特攻兵器に仕立てた」兵器と呼べない代物、回天。   人が乗ることを前提にした体当たり兵器は、兵器と呼べません。


日本の暗部。   これを造るよう指示した人間たちはどうしたのか?   のうのうと生き長らえた…


この回天も実戦、訓練で多くの若い命が散りました。








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特殊潜航艇「海竜」


船体横に突き出た翼、あれの上下運動で海中を動きます。   しかし、、、これも特攻兵器。










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そして零戦62型。   これも……  特攻専用機です。   もはや戦闘機でもないんですよ。   ゼロ戦の形をした特攻機専用機です。


狂ってます。   戦争後半の日本軍の首脳部、そして作戦立案者などなど。   もう完全に負けが確定している状況になっても負けと認めず、自分達の無能さ、エゴをこのような兵器で若い命に押し付けた。


責任をとるべき人間が責任を取らず、誰かに押し付けるこの構図。   戦後日本、学んだでしょうか?   東日本大震災でも同じ過ちを繰り返している。   日本は、戦争からなにも学んじゃいません。


歴史に触れるたびに、それを強く実感します。









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左から、大和の46cm主砲弾(3つ目まで。重量1.5トン)、長門型の40cm砲弾(1トン)、金剛型の35.6cm砲弾(680kg前後)


こうしてみると、大和の主砲がなぜ46cmになったのかがよ~くわかりますね。   6cm大きくなる毎に砲弾の重量がグンと跳ね上がります。   そして重量が大きければ砲弾の落下スピードが増し、貫通力が飛躍的に増大します(距離が2万m以上になると、砲弾ははるか彼方の大空まで上昇し、そこから海面に落下するため)。


そう、大和は別に世界最高の戦艦を目指したわけでもなく、ましてや宇宙戦艦を目指したわけでもなく(笑)、破壊力がべらぼーに大きい46cm主砲を積むために建造された戦艦なのです。   波動砲?   いりません(笑)










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番組制作時に作成された回天の輪切り。   これが棺桶か……   どんな思いで搭乗するのだろうか…









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10分の1大和を上から。   こうしてみると、大和がいかにコンパクトに纏められているかがわかります。   大和は大きいのは間違いです。   じつにコンパクトにまとめられており、すなわち被弾面積が小さいことを意味します。   徹頭徹尾、敵と殴りあう思想で建造された「純粋な戦艦」ですわ



そして、、、時間切れ~~~笑   無理です。   3時間でも見切れませんよ、わたしは(笑)









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外に出ると真っ暗。   こうなることはわかっていましたけどね(^^;   マジで半日は居れます(笑)


ちょいと真面目に、最後にこれだけは書かせてください。   ミュージアム内には菊水作戦で沖縄特攻を敢行した際の大和乗組員たちの手紙などもあります。   是非読んでください。   彼らのいかに高潔なことか。   当時の方々は正しく武士道を受け継いでおり、信念と覚悟のある日本人。   いまの拝金主義の日本と大違い。   ハンカチ持参をおすすめします。


そして、どうしてもこれは書きたい。   なぜ日本人は大和にこれほど惹かれるのか?   たぶん”桜”に通ずる美学を感じるからなのでしょう。


恐竜的進化を遂げた戦艦という艦種の頂点に君臨し、間違いなく最強の戦艦でした。   しかしあくまでも戦艦として最強なだけであり、皮肉にもその戦艦というものに対して終止符を打ったのはその日本。   時代は航空機による戦いに移行。   日本は完全に大和を持て余してしまい、最後には特攻で散った。


その短くも”最強”という単語に彩られ、時代に取り残されながらも壮烈に散った生涯に桜のような美しさを見出すのではないでしょうか?


でもね、、、なぜ大和は特攻したと思いますか?   すでに太平洋戦争の趨勢は決まっていました。   沖縄の砂浜に乗り上げ、撃って撃って撃ちまくる、という作戦とも呼べない作戦でしたが、そもそも沖縄に辿り着くのが無理なのは誰の目にも明らかでした。   事実、第2艦隊長官として赴任した伊藤整一中将は艦隊を解散し、大和以下の艦艇の装備品(主に対空砲)を陸に揚げ、港や工場を守るために使おうとの意見をまとめたところでした。

その矢先、沖縄への事実上の特攻命令。   機先を制された伊藤中将はこの言葉で命令を受諾しました。   「一億総特攻の先駆けとなってくれ」


この命令は勝算を無視して、ただ「死んで来い」という命令に他ならず、大和を沈めることが目的でした。


大和を沈める?   意味不明!という方。   それが普通の人間の神経ですが、もう軍部は狂ってましたから。   本来軍隊が守るべき国民・国土を殺してでもこの戦争を続けよう、本当にそんなやつらがいました。


そして大和を沈める理由、それは自分達のメンツを保つため。   当時航空隊は連日のように特攻機を出撃させ、戦っていました。   そのため「艦隊はなにをやっているんだ!」という声がそこかしこから上がっており、しかも大和という単艦での戦闘力は世界最強の船が残っていましたからね。


上層部にとって大和が残っているのは具合が悪かったのです。   そう、勝ち負けは関係なく「自分達の保身・弁明・責任転嫁のため」大和に出撃命令が下されました。


本気で怒りを感じますが、それが事実です。   そこに散り逝くものの美しさはありません。   あるのは責任逃れに終始する、腐った人間ども。   こいつらは平気で戦後を生き「あのときは…」などとのたまっております。


なにかと同じじゃないですか?   そう、東日本大震災でも同じことを感じましたよね。   日本、本当の意味であの戦争を考えたことがあるでしょうか?   上っ面の美学や儚さに騙され、歴史に学ぶことをしたか?   過去を知り、過ちを繰り返さないことが人間の素晴らしいところなのですが、残念ながら変わっていない部分が多々…



反対に変わらないで欲しかったことも。   それは上層部とは打って変わっての、現場の素晴らしさ。   日本、いまも昔も現場には素晴らしい方が大勢います。


艦隊特攻時、映画「男達の大和」でも映画化され、実在した臼淵大尉の言葉。



進歩のない者は決して勝たない

負けて目覚める事が最上の道だ

日本は進歩ということを軽んじすぎた

私的な潔癖や徳義にこだわって本当の進歩を忘れていた

敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか

いま、目覚めずして、いつ救われるか

俺たちは、その先導になるのだ

日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか





貴方はなにを感じますか?   私は何度読んでも目が熱くなります。

言葉から読みとれるように、大尉は全てわかっていたでしょう。  日本が負けることも、自分達が死ぬことも、上層部による押し付けであることも。


でも、彼はそこに意味を見出した。   そう、いま私達が生きているこの戦後の日本、そのために死のうじゃないかと。   そこには軍人としての義務・誇り以上に、自分達の死によって日本人に”本当の進歩”を果たし、目覚めて欲しい、その気持ちが強かったと思います。


いまの日本にこそ、この言葉を広めたい。   そうでなきゃ、彼らが死んだ意味がない。   こうして戦後生まれ変わったはずの日本にいるものとして、この言葉は一生忘れたくありません。


これで大和ミュージアム終了です!   予想通りの長文になっていまい、皆様には申し訳ないです…









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ちょいとミュージアム周辺を散策します。   しんかい~









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ちょとした夜景









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大和桟橋


地面には、大和の甲板を模した絵が描かれております。



さぁさぁ、寝床チェックに行きますか!










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げ、芸術!?   奥深いですね(´・ω・`)


市立美術館のある公園、十分泊まれそうですが、予報チェックすると今日の夜から明日の午前にかけて雨。   加えて明日も呉散策するしな~と思い……


これはあれですね。   ついにアレを解禁するときが来ました。









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移動移動♪








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名前通り、レンガが敷き詰められた通り。   通りは完全に軒下のため自転車を放置し、”電源のない”マックでブログ更新後…










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21時過ぎ、ついに解禁! 初ネットカフェ。   この店舗1680円で10時間、しかも銭湯付き。


これならいいや!(・∀・)   ネカフェ階上の銭湯で刺青の方にビクビクしつつ汗を流し(笑)、ネカフェでいそいそと就寝準備。


ん~、ネットカフェ、こりゃ便利だ!   ドリンク飲み放題なので、ここぞとばかりに野菜生活を流し込む。


ネカフェ、今後も使ってしまいそうだ…




明日は鉄のくじら館へ!   また趣味全開!笑







走行時間  4時間49分
走行距離  84.3km


累計走行距離  9635.7km









チャリコプター(風力発電)発電状況


 ○    ○    ○    ○

 25   50    75   100(%)


ぶっ壊れました(笑)













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